教師
大人になった今、1番嫌いな職業の人間は教師とはっきり言える。
10歳の時初めて教師に助けを求めた。
朝、父に眼を殴られ出血した。
父に登校するなと言われたが、初めて刃向かった。
殺される気がしたのだ。
担任に「眼が痛いです。お父さんに朝叩かれた。」と伝えた。
担任の返事は「保健室に行きなさい。」のみだった。
保健室の先生なら助けてくれるのかと思った。
保健室の先生は「冷やしておきなさい。」とアイスノンを差し出すだけだった。
どんなに痣があろうと、眼の白目が血で染まっていようと助けてはくれなかった。
「そうか。やっぱり私がいけない子なんだ。」
そう納得してしまった。
それから教師に助けを求めることは無かった。
夜通し怒られ寝不足の時は、体調が悪いと言い保健室で寝かせてもらった。
保健室と授業中だけが安心して眠れる環境だった。
家で寝てる時は、いつ父親が不機嫌になって叩き起されるかわからなかった。
そんな中でも家で安心して眠れる日があった。
両親が性行為を始めた日。
それがある日だけは、怒られず寝れる事ができるんだと安心した。
ただ、当時の私はそれが性行為と理解はしていなかった。
そんな生活をしていて、授業中に睡眠を取るのだから勉強も得意ではなかった。
9歳の時から不潔だとクラスでいじめられていた。
いつからかネガティブになり、こんな自分を友達と思ってくれてる子はいないんだと思うようになった。
今思うと友達はいた。
でも、当時はそうは思えなかった。
毎日両親に怒られ、クラスの子には臭いといわれる私を友達だと思ってくれてるなんて思えなかった。
私が悪い子だから先生もクラスの子も両親も祖父母も私を怒って殴るんだと思ってた。
現実が辛く悲しいものだと思うと同時に、本を読むようになった。
図書室、図書館は大好きだった。
静かな空間で色んな世界に脳内で行ける。
幸せだった。
11歳の時ある一冊の本と出会った。
「itと呼ばれた子」である。
著者のデイヴ・ペルザーさん自身の経験が書かれている。
当時はそれが、ノンフィクションかフィクションかは関係なかった。
でも、自分と似ていて自分が受けていることは助けを求めていいことなのか?と思うようになった。
何度も何度も図書館で借りた。
主人公が耐えて頑張って生きる姿を自分に照らし合わせながら、耐えるんだと頑張った。
大人になったら幸せになれるのだと。
13歳の時、またその本を読み終えた後に「やっぱり誰か大人に助けを求めたら助けてもらえるんじゃないか?」と思うようになった。
友達の母親と、その時の担任に助けを求めた。
友達の母親は「謝ってその場をやり過ごしなさい」
担任の教師は「なんで怒られてるか理解出来てないから怒られるんじゃない?」
そんな回答だった記憶がある。
あぁまたダメだったんだと絶望を感じた方が強かった。
教師ではなく、警察に助けを求めたら良いのかと考えるようになった。
でも父親は家に一日中いてゲームをしているので、警察にどう助けを求めていいかわからなかった。