nekotoikiru_onのブログ

毒親育ちのアラサー

責任転換

私の家族は人のせいにする。

全てを。

父は働かない理由を

「この土地は働いても安くて耐えられない。」

「長男が知的障害を伴う自閉症だから家を空けれない。」

「車がないから仕事に行けない。」

「田舎に連れてきた母が悪い。」

という。

 

バブルで金銭感覚を狂わせた大人の末路か。

 

先日母に家を少し片付けたら?と伝えた。

「お父さんが昼夜逆転して寝ててやる気にならない。そもそもお父さんがいるとやる気にならない。」

 

お互いがお互いのせいにするのだなと。

私も昔はよく言われた。

人のせいにするなと。

 

弟にはそんな大人になって欲しくないし、私もなりたくない。

よくよく考えると両親だけでは無い。

 

責任転換する大人はよく見かける。

いい大人だからこそ育ったその頭で無駄に知恵を働かせて人のせいにする。

さも自分は何も悪くないと弁論する。

 

汚い。

 

大人だが、大人になりたくないと思う。

結局自分が一番可愛いのだ。

 

私はたまに自分が嫌になることがある。

豊かに育ってる子が妬ましい。

両親に恵まれている友人が妬ましい。

そんな素敵な存在があるのに、死にたいと言う人がいる。

 

死にたいと口にする人間が嫌いだ。

過去の自分を考えると余計にだ。

 

生きてきて寝る時に怯えたり、小学生の時に食べ物が食べれなくて困ったことはあるのだろうか?

 

何も事情を知らない大人に養護施設で育った事だけを知られ、「どんな非行をしたの?」と聞かれたことがある。

 

その度に自分が施設に行ったことは間違いだったのかと考えてしまう。

 

女だからなのか「結婚はいつするの?」「子供は早く産んだ方がいい」と言われる。

 

結婚は考えたことがなかった。

子供は欲しくない。

 

子供が欲しくないとだけ伝えると「冷たい人」認定をされる。

虐待されて育った子が大人になり、親になり虐待する割合は7割と聞いたことがある。

 

私はその7割になるだろう。

「あなたも3割になる努力をしたらいいじゃない」

人のことだから簡単に言う。

でも自分が親になりたくないと思うのは、両親のせいでは無いと思っている。

その件を抜きにしても子供は欲しくない。

こんな世の中に産み落とされた子供が可哀想だと感じる世の中だから。

 

ある日「子供ができない病気で」と嘘をついたことがある。

その時空気が一瞬重くなり「先に病気のことを言わなかったあなたが悪い」みたいな事を遠回しに言われた。

 

内心「私が本当に病気じゃなくて良かったですね。」と思った。

もし本当は欲しくてでも病気出てきない方がそんなことを言われたら夜通し泣いただろう。

泣いてもその心の傷は一生残ったであろう。

 

あなたの「普通」はわたしの「普通」ではない。

わたしの「普通」もあなたの「普通」ではない。

 

デリカシーのある発言を、責任転換ばかりしてないで問題に向き合える大人になれますように。

 

 

向き合い方

施設を出る時先生に言われた事がある。

「弟と会いたくてもその弟もあなたにとって毒になる可能性が高い」と。

 

その通りだった。

大人のいうことは聞くべきだと思った。

 

私には弟が2人居る。

歳が離れている。

長男とは4歳差。次男とは7歳差。

長男は軽い知的障害をもっている。だから私が施設に行ったことをきちんとは理解していなかったらしい。

次男は違った。

兄と母と自分を置いて、姉は逃げた。

そう認識していた。

 

次男からすれば母親は可哀想な母親だった。

父親からの暴言暴力に耐えて働いて、自分達を守ってくれてる存在。

長男も次男も母親から何もされてない。

私がされてきた事、言われてきた事なにも。

 

これが連れ子かと思った。苦しかった。

血の繋がりなんて関係ないと言ってたのは本心ではなく、自分にも言い聞かせるために言っていた言葉なんだなと。

 

実の母親はうっすらとしか記憶が無いのでどんな人だったかは知らない。

5歳の時から実の親の悪口を聞かされてた。

お前はそうなるな。と。

 

大人になって思うのは、それは5歳の子に話す内容ではない。

20歳を越えて理解力がついてから、実の母では無い事を伝えてもいいくらいなのでは?と思う。

 

客観視すると、子供に多くを求めすぎではないかと。

自分の辛かった過去を娘に理解しろというのは、こちらが理解できない。

その思考そのものが。

 

人には人の地獄があるという。

それを理解せず大人になったのが私の父親だ。

 

母親とは和解している。

私の中で折り合いをつけた。

父親は未だに私が施設に行ったことを根に持っている。

あの行為は誤ちだと。

なので完全なる和解は不可能だと結論付けた。

 

母親はあの時の自分はどうかしていたと謝罪してきた。

それが本心かは考えてなかった。

今文字に起こして疑問が生まれた。

 

私は愚痴が言える相手が欲しかったのだろうと思っていた。

家庭状況を把握していて自分の味方になってくれる相手が同性で欲しかったから謝罪してきたのだと。

 

快楽的欲求の殺人犯でない限り、人に刃物を向けたりしてはいけないのは理解できるはず。

それを7歳の子に対してやった母親はいかがなものか。

「カッとなってしまって。」

よく聞く殺人犯のセリフ。

 

自分の感情をコントロールできないのは何かが欠落しているのか。

父親はADHDのようにもみえる。

 

大人になって知識がつけはつくほど、父親がイカれた人間なのは理解出来た。

 

全てデキ婚。

無計画な出産。

避妊を知らないとしか考えられない。

 

書こうと思えばいくらでも書けるが、一旦落ち着こう。

 

深夜に泣きながら過去の自分を思い出してパニックになった事が何度もある。

その時たまたま見かけた動画で、中年男性が未だに毒親に悩み叫んでいた。

過去のことを掘り出して叫んでいた。

 

未来の自分に見えた。

あぁ、この呪いは消えないんだ。ずっと何歳になってもこの事で苦しみ泣くのだと。

 

何故かそこでスっと感情が落ち着いた。

考えるだけ無駄なのだと理解した。

相手がなぜそんな事をしてきたか、理解はこれから先できないのだと。

理解しても謝罪されても解放されないならば考えることをやめようとおもった。

 

それから猫を飼い、初めての彼氏ができて情緒が落ち着いた。

たまに、彼氏のご両親が素敵な人で羨ましくなることがある。

母親に対して冷たくあしらってる彼氏が信じられなくなる。

恵まれているのにどうして大切にできないのだろう?と。

年末年始やらで実家に帰って親戚と楽しそうにする彼氏が羨ましく妬ましく思う事がある。

 

何度か泣き腫らしたが、よくないと考えのをやめた。

自分で気を逸らさせた。

 

これからの課題もある。

きっと彼は子供が欲しいだろう。

私は嫌だ。

愛し方が分からない。愛せたところで小さい頃から恵まれてる我が子が羨ましく妬ましく思えてしまうだろう。

友人の子供をそう思ったことがある。

その時点でアウトだ。

 

毒親に育てられた子は毒親になる。

そう耳にしたことがある。その通りだと思う。

 

こんな複雑すぎる家庭の女より、普通の子と付き合った方が彼の幸せなのでは?と考えたことが何度もある。

でも、人生で今が1番幸せだと感じる。

それを自ら捨て去る勇気はない。

 

向自分の過去や未来の課題への向き合い方は間違えてるかもしれない。

でも今はこの向き合い方が精一杯だ。

 

精神薬で記憶を飛ばすこともなく、なぜ泣き止まないのか自分でもわからず困り果てながら朝をむかえる事もここ数年無い。

きっとそれが普通なのだけれど、そう過ごせてる今が1番幸せである。

 

愛されたい

私は9歳から携帯をもっていた。

両親との連絡用の為だった。

 

学校で友人たちは付き合う付き合わないがあった。

 

羨ましかった。

両親や家族からは愛され、恋人までいて。

誰でもいいから愛して欲しかった。

 

14歳の時初めてネットで知り合った男性と会った。

初めて性行為をした。

よく分からなかったけど、喜んでくれてるのだなと私を必要としてくれてるのだなと。

そういった感情だった。

その夜は自宅でも幸せな気持ちで眠った記憶がある。

だが、何人かと会ったあと両親にそれがバレた。

 

父親の剃刀を顔面に投げられた。

顎に掠っただけだったが、今でもその傷跡はある。

 

その晩、ニュースで両親に虐待され亡くなった子供がいると知った。

私もいつか殺されるのではないか。

寝てる間に殺されてしまうのではないか。

そう思うようになった。

そう思うと不安で眠れなくなってしまった。

 

ある日、美術の授業で指を怪我をした。

彫刻刀で結構切ってしまった。

その日は1日痛かった。

なぜかその痛みが安心できてぐっすり眠れた。

 

その日以来、自傷行為をするようになった。

最初は引っ掻き傷のような浅いものだった。

段々麻痺して、傷が深くなっていった。

今でもその傷は残っている。

 

よく自傷行為は誰かに見て欲しくてやると聞く。

私はそうは思っていなかった。

親にも友人にも言わなかったし見せなかった。

 

ただ、安心して眠れるから。

自分の脳内がぐちゃぐちゃになったとき落ち着くからだった。

何かの拍子に親が自傷行為を見つけた時酷く怒られた。

「注目されたいからって自分を傷付けるな」と言われた。

いつも私が思ってる事と違う的外れなことを言ってくるなと感じた。

でも、私がこう思っていると伝えると嘘をつくなと言われた。

私の感情を私が説明してるのに、なぜ嘘をついてると言われるのだろうか。

親が望む物を好きになり、親が望む思考をし、親が望む人間にならなくてはならないのだとおもった。

 

その自傷癖と愛されたい願望は23歳頃まで続いた。

警察

警察には人生で2度助けを求めた。

 

今でもその時担当してくれた警察官の顔と表情がハッキリと浮かぶ。

 

「めんどくさい」

 

そう言いたげな顔だったのを覚えてる。

 

非行少女。反抗期。

そう見えているのか、仕事が増えることに不満を抱いているように見えた。

 

正義とは何か。

1人の子供を助けたところで死にかけでもないし称賛されないのだろう。

 

「子供が好きで教師になりました」

「困ってる人を助けたくて警察官になりました」

 

これ程聞き飽きた建前はない。

本心で言ってる人もいるのだろう。

でも、私は出会った事がない。

 

嘘はついてはいけないと幼い頃教わったが、大人は嘘ばかりつく。

大人になった私もそうだ。

建前、お世辞という嘘をつく。

 

今までの大人と違い、警察は仕事はしてくれた。

児童相談所には繋げてくれた。

 

助かったと思った。

児童相談所に着いて、職員の方とお話をした。

助かったという気持ちが大きすぎて何を話したかは思い出せない。

夜中に行ったので、軽く説明を受けてすぐに寝た記憶がある。

 

1度目も2度目も安心感で涙が出た。

温かいお布団で寝れる事が幸せだった。

児童相談所は非行や虐待、全ての子供が集まる場所である。

規律は厳しく、逃げ出す子もいるらしい。

 

私にはそれが理解ができなかった。

理不尽な事で怒られない。

きちんとご飯が食べれる。

お風呂に毎日入れる。

お布団で朝まで寝れる。

 

私が家で叶えられなかったことが、児童相談所では叶えられるのだ。

幸せだった。

 

ずっと居れる場所ではないので、今後の進路を決めなくてはならなかった。

1人目の担当の児童福祉司さんは優しそうな気弱そうな男性だった。

いつも優しい微笑みをかけながら、私とお話してくれた。

 

ある日、「1度目の保護だと強制的に施設に入所することが出来ない。お父さんもお母さんも今回のことで反省してくれると思うよ」と言われた。

 

そんなわけが無い。有り得ない。

帰される。絶望だった。

 

1度目の児童相談所は2週間位で家に帰された。

私への監視が強くなっただけだった。

 

 

教師

大人になった今、1番嫌いな職業の人間は教師とはっきり言える。

 

10歳の時初めて教師に助けを求めた。

朝、父に眼を殴られ出血した。

父に登校するなと言われたが、初めて刃向かった。

殺される気がしたのだ。

担任に「眼が痛いです。お父さんに朝叩かれた。」と伝えた。

担任の返事は「保健室に行きなさい。」のみだった。

保健室の先生なら助けてくれるのかと思った。

保健室の先生は「冷やしておきなさい。」とアイスノンを差し出すだけだった。

 

どんなに痣があろうと、眼の白目が血で染まっていようと助けてはくれなかった。

 

「そうか。やっぱり私がいけない子なんだ。」

 

そう納得してしまった。

 

それから教師に助けを求めることは無かった。

夜通し怒られ寝不足の時は、体調が悪いと言い保健室で寝かせてもらった。

 

保健室と授業中だけが安心して眠れる環境だった。

家で寝てる時は、いつ父親が不機嫌になって叩き起されるかわからなかった。

 

そんな中でも家で安心して眠れる日があった。

両親が性行為を始めた日。

それがある日だけは、怒られず寝れる事ができるんだと安心した。

ただ、当時の私はそれが性行為と理解はしていなかった。

 

そんな生活をしていて、授業中に睡眠を取るのだから勉強も得意ではなかった。

 

9歳の時から不潔だとクラスでいじめられていた。

いつからかネガティブになり、こんな自分を友達と思ってくれてる子はいないんだと思うようになった。

今思うと友達はいた。

でも、当時はそうは思えなかった。

毎日両親に怒られ、クラスの子には臭いといわれる私を友達だと思ってくれてるなんて思えなかった。

 

私が悪い子だから先生もクラスの子も両親も祖父母も私を怒って殴るんだと思ってた。

 

現実が辛く悲しいものだと思うと同時に、本を読むようになった。

 

図書室、図書館は大好きだった。

静かな空間で色んな世界に脳内で行ける。

幸せだった。

 

11歳の時ある一冊の本と出会った。

「itと呼ばれた子」である。

著者のデイヴ・ペルザーさん自身の経験が書かれている。

当時はそれが、ノンフィクションかフィクションかは関係なかった。

でも、自分と似ていて自分が受けていることは助けを求めていいことなのか?と思うようになった。

 

何度も何度も図書館で借りた。

主人公が耐えて頑張って生きる姿を自分に照らし合わせながら、耐えるんだと頑張った。

大人になったら幸せになれるのだと。

 

13歳の時、またその本を読み終えた後に「やっぱり誰か大人に助けを求めたら助けてもらえるんじゃないか?」と思うようになった。

 

友達の母親と、その時の担任に助けを求めた。

友達の母親は「謝ってその場をやり過ごしなさい」

担任の教師は「なんで怒られてるか理解出来てないから怒られるんじゃない?」

そんな回答だった記憶がある。

 

あぁまたダメだったんだと絶望を感じた方が強かった。

 

教師ではなく、警察に助けを求めたら良いのかと考えるようになった。

 

でも父親は家に一日中いてゲームをしているので、警察にどう助けを求めていいかわからなかった。

 

 

毒親

毒親育ちのアラサー女です。

未だにフラッシュバックやらなんやらに苦しんでます。

そんな時周りには話せず…。

同じような境遇の子に話すとお互いが苦しみ、同じ境遇では無い子に話すと困られるか引かれる為誰にも自分の毒を話せなくなりました。

 

そんな時にブログというものを目にして、これは私の心の整理にいいのでは…?と始めてみました。

 

こんな生き方をしている人も居るんだなぁ程度に読んでいただけたらな…と思います。

 

私は長女です。

父親とは血縁関係がありますが、母親とはありません。弟2人は現在の母親と父親の子です。

なので私は連れ子になります。

 

父親は長男が産まれてすぐニートになりました。

母親の方の祖母祖父の持ち家に、私が幼い頃引っ越しました。

 

母親が1人で仕事をしていました。

光熱費食費はほとんど祖父達が出す状況でした。

 

いつからか、父親と母親は私だけに当たりが強くなりました。

酷い時は私自身が、産みの母親に似ているからという理由で暴力を振るわれ、暴言を吐かれました。

 

1度だけ失神したことがありました。

首を絞められ気づいたら夢を見ていました。

でもハッと意識を取り戻した時、母親は「やり過ぎた」という表情をしておりました。

 

それから毎日死ぬことばかりを考えていました。

当日9歳の私は死が救済だと思っていました。

でもピストルで撃たれたら人は死ぬ程度の知識しかなく、早く死にたいなぁ程度でした。

 

10歳になった時、初めて教師に助けを求めました。